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ヴェズレー大聖堂:第2回十字軍の精神的揺りかご

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ヴェズレー大聖堂:第2回十字軍の精神的揺りかご
フランス、ブルゴーニュ地方の丘の上に位置する中世の町、ヴェズレーには、サント・マリー・マドレーヌ大聖堂があります。ロマネスク様式とゴシック様式が融合したこの建築の傑作は、1147年の第2回十字軍の精神的な出発点として、歴史上極めて重要な位置を占めています。

 

フランス、ブルゴーニュ地方の丘の上に位置する中世の町、ヴェズレーには、サント・マリー・マドレーヌ大聖堂があります。ロマネスク様式とゴシック様式が融合したこの建築の傑作は、1147年の第2回十字軍の精神的な出発点として、歴史上極めて重要な位置を占めています。

転換点:バーナードの説教と王の誓い

1146年、教皇ウジェニウス3世とフランス国王ルイ7世は、この地で公会議を開きました。有力な修道院長であったクレルヴォーのベルナルドは、激しい説教を行いました。「聖地は泣いている。キリストの墓は異教徒によって踏みにじられている!」彼は自分のマントを引き裂き、それを十字架として戦いを誓う騎士たちに配りました。ルイ7世は数百人の貴族と共に跪いて宣誓を行い、フランス初の国王主導の十字軍が始まりました。この出来事によって、ヴェズレーはキリスト教の結束と軍事的熱意の象徴となりました。

信仰と建築の記念碑

9世紀にマグダラのマリアの聖遺物を納めるために建立されたこの大聖堂は、12世紀に増築され、ロマネスク様式とゴシック様式の過渡期の要素を巧みに表現しています。「最後の審判」を描いたタンパヌムと、身廊の「キリストの昇天」は、中世の信仰の証として今もなお語り継がれています。1980年にユネスコ世界遺産に登録され、「宗教芸術と軍事目的の調和のとれた融合」と称賛されています。

聖戦の遺産

第2回十字軍は失敗に終わりました。ドイツ軍はアナトリアで敗走し、フランス軍はダマスカスを占領できませんでしたが、ヴェズレーの遺産は生き続けました。1190年、フランス国王フィリップ2世とリチャード獅子心王はここから第3回十字軍遠征に出発し、十字軍の象徴としての地位を確固たるものにしました。今日でも、巡礼者によって磨かれた石が大聖堂の中庭に残っており、信仰と闘争の物語を語り継いでいます。この歴史の聖地には、毎年何十万人もの人々が訪れています。

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